東北学院大学 工学部 機械の同窓会です。

1804多賀城キャンパスの桜

多賀城キャンパスの桜

鶴本勝夫(工学部1回生)

 毎年4月になると、多賀城キャンパスは見事な桜並木に囲まれ、入学生に花をそえます。この桜には一つの思い出があります。
 工学部は周知の通り、昭和37年(1962年)4月に創設されました。キャンパスは戦後、米軍に占領され、その家族のための教育施設やPX(酒保)、住宅に使用され、その後に返還されて、東北財務局が管理していました。本学が買収したときには、一部は荒地と化していました。
 昭和41年(1966年)3月に、第1回の卒業期を迎えるにあたり、その記念として桜の苗木を手植えする話が学校側から提案され、学生側はこれに賛同しました。手植えに際し、当時の工学部長永井健三先生と事務長の飯島文太郎氏は、その作業をアルバイトとみなし実費を考慮することになりました。
「教育環境の充実のために、キャンパスに桜を」は、学生、教職員共々、喜び勇んで参加しました。キャンパスの北側からAグランド(野球場)、Bグランド(サッカー場)、その南側の平地(1,2号館)の周縁部に桜の苗木を手植えすることにしました。
 当時の工学部は3学科構成で、Aグランドは機械工学科(M)、Bグランドは電気工学科(E)、南の平地は応用物理学科(P)が担当しました。支払われたアルバイト料で、M科は卒業研究論文の前刷集に、E・P科は卒業記念アルバム代に充て、それぞれの記念としました。現在の大木を見るには数十年の時の経過を要しましたが、4?5年後に仙台市に移転するとの決定に、卒業生一同、とりわけ第一回卒業生にとっては惜別を禁じ得ないところです。

 
 
  

 キャンパスの中庭には磁気録音で有名な永井健三先生揮毫による「創意工夫」の碑がありますが、研究・教育の面で、学生、教職員を励まし続けたこの記念碑が、移転先のキャンパスで再び光を放つことを希望してやみません。

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