東北学院大学 工学部 機械の同窓会です。

2506a工業教育への関わり

工業教育への関わり

清水 信昭(第15回生)

 2年前に退職をし、地域活動をしながら過ごしています。そんな時に、同級生の三島君からのハガキが届きました。機械科同窓会の案内で、特に5回生及び15回生を中心に呼びかけをしている旨の内容が記載されていました。とても懐かしく、参加してみようと思い早速三島君に「参加」の回答をしました。「今、同級生に会わないと、会う機会が永遠になくなるのではないか。」と直感的に感じました。
 仙台には、出張で数回訪れてはいましたが、忙しい中での訪問でした。改めて同窓会で訪れた仙台は、自分の記憶が一番濃い4年間があった学びの場であると感じました。
 初めての一人暮らで、周囲には知っている人が誰もいません。そんな不安も、下宿仲間とすぐに仲良くなり楽しい学生生活が始まった事を鮮明に覚えています。私は、ロックバンド部に入部し、機械科を超えた多くの友人と時間を共有しました。この時間は私の社会人としての基礎の一部分になっている事は間違いないと思っています。研究室は、渡辺平八郎研究室でした。何も分からない私は、仲間たちに助けて頂きなんとか卒研を終了しました。卒研テーマは「二種燃料によるディーゼルエンジンの燃焼」です。今でも、覚えています。当時は卒研の前に雑誌会があり、自分なりの調査、文書作成、資料作成、原稿作成等を行った事を覚えています。実はこの経験が今後の教員生活に大きな影響を及ぼすことは、当時の私は理解していませんでした。
 同窓会では、同級生との45年ぶりの再会で多少硬さがありましたが、「○○の授業は・・・」、「○○研究室では・・・」などの話題で記憶が蘇りました。あまりの盛り上がりに2次会にも繰り出し、思い出話がつきませんでした。もちろん、三島君による卒業アルバムのコピー配付といった気遣いもあった上でのことです。本当に感謝しています。
 卒業後私は、日立市内の日立製作所関係の企業に就職し、モーター製造に従事していました。当時、その企業では未来の自分像がどうしても描くことができませんでした。在学中に教員免許は取得していたので、夏の教員採用試験を受験しました。その結果、1年の企業勤務後に公立学校教員として働くことになりました。当初、高萩工業高校への配置となり、工業教育を育む事になりました。工業高校では、機械工作、機械設計、原動機そして機械実習(フライス盤)を担当することになり、諸先輩方にご指導頂きながら、専門科目を指導してきました。そんなある時、県内工業高校に当時珍しい電子機械科への配置替えがあり、そこで、マイコンとの出会いがありました。私には、画期的な出会いでした。マイコンを熟知している教員も少ない時代です。そんな中でも、徹底指導してくれた諸先輩がいました。この人間関係構築は、学生時代のロックバンド部で培ったものです。この頃から、学生時代の人間関係構築経験が役にたってると実感しています。やがて、文部科学省の指定研修会で東京工業大学での実験・実習への参加機会も巡ってきました。機械の知識以外にも、電子制御及び情報技術の知識を学んだのもこの頃からでした。担当する授業も、制御系の座学が多くなってきました。
そんな中、全国的に少子化による高校の統廃合が始まりました。県内でも工業高校の統合や廃校等の波が訪れ始めました。私は、工業高校と普通科高校の統合業務を県から命じられ普通科高校へ異動し、新校準備委員として多種多様な校務に携わる事になりました。その後、無事統合を終え、管理職として水産高校へ配置され、県所有の大型実習船の建造にも携わりました。水産高校には3年間勤務し、その後は工業高校へ校長として2校勤務しました。仕事柄、全国の産業教育、なかでも工業高校の動向や大学の理・工学部の動向には目を向けていました。少子化の影響はとても大きく、全ての学校に影響を及ぼしていました。その頃は、「いかに製造業技術者を育成するか。」や「モノつくり立国日本の再建」を見聞し、次に目指す産業技術は何なのか。と考えていました。
やがて、定年退職を迎え、茨城大学のアドミッションセンターで特命教授として勤務し、大学入試に関する講義を専門的に行う業務を行いました。内容は、北海道から沖縄まで出向き講義を行う事です。出張先では、学院大学とも同席することもありました。キャンパス移転がある事も知っていました。東北6県の高等学校との面接も数多くあり、学院大学の志願状況等も知っていました。昔とは違い、交通網の高速化により、福島県内、山形市、岩手県内からの新幹線通学可能な時代になっています。そこへ、工学部の移転は、とても良い選択だと感じていました。新幹線を降りてから、仙石線で多賀城へ行く事と地下鉄五橋駅へ行く事では大きく異なります。当然、新幹線通学が可能です。この様な傾向は首都圏大学でも生じ、地方キャンパスからの首都圏移転が数多く起きています。茨城大学に勤務する事で、学院大学を外から見る機会が得られたことは良かったと感じています。
 現在では、市委託のパソコン教室での講師や小学生等を対象とした発明クラブでの指導員などを行っています。本同窓会への参加が、私にもたらした事は、とても大きいと感じています。同窓会の参加により、今の自分があるのは、部活動での先輩後輩等による人間関係の大切さの再考、そして研究室で、自ら考え、調べ、表現することの経験と協働により生きて行く事の大切さを改めて思い出させてくれる機会となりました。この様な機会を与えてくれた三島君には感謝申し上げます。
 結びに、今後の工学部機械TG会の益々の発展とご盛況をご祈念申し上げます。

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