東北学院大学 工学部 機械の同窓会です。

2509bOB自己紹介

OB自己紹介

副会長  庄子 誠(第17回生)

 昭和34年2月生まれ 仙台市若林区三百人町で生まれ・在住、当年66歳、X1独身

 昭和54年4月 東北学院大学 工学部機械工学科 入学 一般入試・面接の際、故)佐藤恭三先生と出会う。佐藤先生の勧めで部活動は体育会・自動車部に所属し、3年次には主将(キャプテン)になる。自動車部の顧問は佐藤先生であり同部を通してモータースポーツに出会い、その後邁進する事となる。
 部活動の主体は、東北学生自動車連盟の各大学(当時9校)主催の大会(フィギュア競技、ダートトライアル、整備大会等)に出場する事で、誠が2・3・4年次には3年連続総合優勝を獲得し、好成績達成に大いに貢献した。
 昭和57年4月 佐藤先生の勧めにより、在仙の自動車ディーラーであるトヨタオート仙台㈱(現ネッツトヨタ仙台㈱)に入社、職種は整備部門を1年、その後は電算部門の担当となり、さらに総務・経理事務方の電算化で活躍する事となる。入社後はモータースポーツとの2足の草鞋を履くこととなるのである。入社時にKP61スターレットを購入、余暇は社外の一般レーシングクラブに所属しモータースポーツに熱中して行く。同年、東北チャンピオンシリーズ戦ジュニアラリーナビゲーター部門Aクラス 年間総合5位 獲得
 昭和58年3月20日 KP61スターレットでSUGOチャレンジカップレースSR.1クラスに出場 4位 獲得
 昭和59年はより上級者向けの東北ラリーチャンピオンシリーズ戦にドライバー針生政幸氏のナビゲーターとしてAE86トレノで参戦。しかし中々入賞には結びつかなかった。
 昭和61年6月21日 国内最高峰大会である、全日本ラリー選手権第7戦・ツールド東北(盛岡大会)にAE86トレノのドライバー今野昌弘氏と出場したがリタイヤに終わる。
 昭和62年以降はクラブの若手ドライバー育成の為ナビゲーターとして東北ラリーシリーズ戦に何回となく参戦し入賞多数。若手クラブ員からは「幸福のナビ」「ハッピーマコちゃん」と呼ばれた。
 昭和62年5月 AE92スーパーチャージャートレノを購入。平成になり同車両でジムカーナ競技に出場するようになる。主に宮城県シリーズ戦や東北シリーズ戦に出場したが、7~12位ほどに留まる。
 平成3年7月 結婚を機にモータースポーツ活動を一時中断する。
 平成10年 活動再開 ドライバー星光行氏のナビゲーターとしてJMRC東北ラリーシリーズ戦に出場。
同年ナビゲーターB部門 年間総合4位獲得 再開後の限界突破で有り、その後2シーズン参戦したが、再度ナビ活動停止を決意。父親の介護の為である。
 平成12年職場は大郷テクノセンターに異動となり板金塗装部門の係長として、後進の指導を活動する事となる。
 平成17年6月 離婚成立 
 平成24年5月 ZN6 トヨタ86を購入 翌25年からスポーツランドSUGOのサーキットゲーム(ノンタイトル戦)にフル参戦、3年間で3度クラス優勝を果たす。
令和元年2月に同社を定年退職し雇用延長後の8月に体調不良の為退職を決断する。(勤続37年6ヶ月)
 退職後は時間を活用し資格取得にチャレンジし、国家資格・第4級アマチュア無線技士を取得した。失業保険受給期間中に職業訓練を受講(パソコンクラス)、MOSマイクロソフトエクセル、MOSマイクロソフトワードを取得した。
 令和4年12月 実家を整理して近隣の中古マンションに引っ越した。
 令和5年6月 東北学院大学 工学部 機械知能工学科 城戸章宏教授の学生フォーミュラー活動に請われ、
学生諸君に機械加工技術、溶接技術を指導する。2年継続指導したが、走行可能状態の証明取得不可、出場不可。
 令和7年9月 同活動、走行可能状態の証明取得し本大会出場可能になる。次の関門は車検合格で競走可能か?

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