2607a寄稿
寄稿 「鶴本先生への追悼文」
参与 伊藤 信義 (第4回生)
1. 学生の頃の思いで
私にとって先生との出会いは60数年前の工学部の2年生の時かと思いますが、図学の講義で初めてお会いしており、その時の先生は当時、助手として勤務されていたと記憶しております。一見、何か気難しそうな方だなーとの印象がありました。しかし学年が上がり、必須科目であった【機械設計製図演習】を受講することになり、これらの科目も鶴本先生が担当でした。
先生の講義は教本をベースに『設計図』とは何かから始まり、製図上の決まり、表現方法、製図機械及びT定規の使用方法等、設計製図を行うに際しての一連の所作を関連付けてわかりやすく講義していただき、学生からの質問にも先生本人が経験したエピソ-ドを織り交ぜて説明をしていただきました。
4年生になり、卒業研究を選択することになって、私は水力学の酒井研究室の下で佐藤彰先生に所属することになりました。佐藤彰先生の実験室は旧米軍の食堂跡で水力実験室と小さな事務室があり、事務室の前には大きな水槽がありました。この事務室の造り方が大変趣があり、縦長の格子窓、机、椅子等が配置されており、中央に石炭焚きの達磨ストーブが据え付けられている非常に居心地の良い部屋でした。
この様な背景より、自然と工学部関係者が出入りするようになり、鶴本先生もその中のお一人でした。その当時の工学部は全体的に若い先生方が多く、確か『スパナマンズ』と言う草野球チ-ムを作っていたと思います。そのようなわけで、鶴本先生は頻繁にこの部屋へ出入りしておりました。自然と学生ともお話をする機会も増え、その中でぽつりぽつりと自分の生い立ちを話すようになり、兄弟が多く、自分は末っ子なので、お袋さんは、非常に苦労して自分を大学まで進学させてくれたこと、その為、勉学の合間を見てアルバイトを行ってきたこと等をお話してくれました。この様なお話を聞いてきて、私の心の中に鶴本先生への畏敬の念が芽生えてくるのを感じました。
2. 『さんえる』発行の物語
私の勤めておりました会社には、東北学院大学の経済学部や工学部の卒業生が数多く在籍しており、その中で、鶴本先生の親友でいらっしゃった第一回卒業生の小野公延氏が勤務しておられました。
卒業する前、就職先の一つとして、その企業を希望する際、会社の内容を小野君に尋ねてみようとのことで、鶴本先生に同行していただき、会社内容を種々教えていただきました。その折、お二人のお話の中で、工学部の電気工学科並びに応用物理学科では、OB会が既にできているのに機械工学科にはそれがないとのことで、お二人が発起人となり、機械工学科TG会を作り、ついでに機関紙も制作しようとのお話がありました。
私が会社に勤務するようになってからは、機械工学科TG会の会長は小野公延氏、事務局長が鶴本先生、副会長が清野忠彦氏、事務局次長が庄司幸嗣先生であったと記憶しております。
機関紙の制作も始まり、当初、鶴本先生から依頼された原稿用紙(ペン書き)をワードプロセッサ-にて活字にし、それを段組みしたA3用紙に切り貼りし、制作しておりました。その後、数年経過してから、三島千明氏が購入した新聞制作ソフトの『編集長』が登場し、一躍、制作がしやすくなりました。
鶴本先生も、パソコンを購入し、直接Wordで文章を作るようになりましたが、 数年たってパソコンが不具合を起こすと、また、元に戻り、原稿用紙に記述したものを私が受け取りに伺い、Wordで打ち直し、『編集長』に挿入したように思います。先生は、文章の構成や誤字、脱字及び用語の使い方等、非常に厳しく、私が独自に作成した文章などは、添削していただくと、赤鉛筆の訂正で、原稿用紙が、赤色に染まっているほどでした。この様に新聞部に所属しておられただけに、文章に関しては、非常に厳しい先生でした。
3. 機械工学科TG会の忘年会でのエピソード
この行事はやめてから十数年経過したものと思いますが、その当時、9月ごろになると、今年の忘年会はどこに行くかとの話題が浮上し、9月末ごろには予約していたように思います。ただし、土日で行い、現地集合なので、あまり遠くへはいけませんでした。必然的に 作並温泉、秋保温泉、松島、岩沼といった近場であったと記憶しております。
この忘年会の呼び物として、必ず、コンパニオンさんたちも呼んでおり、5人程度の方に参加していただいたように思います。宴会が始まる前に、会長のごあいさつに続いて鶴本先生のご挨拶がありました。次第に宴がたけなわになるといつの間にか鶴本先生の両サイドには綺麗どころのコンパニオンさんが鎮座しておりました。先生は何か難しそうなお話をしているのか、コンパニオンさんは熱心にお話を聞いているようでした。
先生の『人を引き付ける話術』や『誰とでも分け隔てなく語り合う人柄』その上、『話題性が非常に豊富なこと』は、うらやましく感じました。
宴会も、時間となり、割り当てられた部屋へ戻りましたが、先生は、二次会へもコンパニオンさんを連れて行こうとしましたが、費用の面で終わりにしたいと思い、しぶしぶお断りしたように思います。
先生との交流は、学生時代から現在八十歳になるまで、およそ六十年という長い年月に及びました。その間、楽しかったこと、残念だったこと、悲しかったこと、悩み事など、さまざまな出来事を通して、先生は私たちに【人生とは何か】を身をもって示してくださいました。
先生から教えていただいたことは、設計製図の技術だけではありません。物事に真摯に向き合う姿勢、人との接し方、そして学び続けることの大切さなど、人生の指針となる多くのことを学ばせていただきました。
これからも私たち機械TG会会員一同は、先生が築いてこられた歩みを大切に受け継ぎ、その思いを次の世代へと伝えながら、会のさらなる発展に努めてまいります。鶴本先生、長年にわたり本当にありがとうございました。どうか安らかにお眠りください。心よりご冥福をお祈り申し上げます。合掌
