東北学院大学 工学部 機械の同窓会です。

1409磁気歯車開発への道

さんえる42号

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磁気歯車開発への道          

鶴本勝夫(第1回生)  

 はじめに
 私は幼少の頃より何が得意かというのは、よく分からないできた。小学校に入学したときは、宮城女子師範学校出たての若い女の先生中沢美恵子先生にひかれ、ほかに何を教わったか分からないでいる。中沢先生は美人で「二十四の瞳」に出てくる大石先生のようであった。今でも鮮烈に目に浮かぶ。

 小学6年生になると課外活動があり「電機クラブ」に入った。クラブの担任は理科が得意な若月先生であった。当時百円位?で買える簡易組み立てのモーター部品を渡され、モーター作りに興じたのを覚えている。

 中学校では「植物採集班」や「化学クラブ」に入った。植物採集班では大崎八幡宮界隈で雑草を採集し、標本作りをしたがものにはならなかった。化学クラブでは学校そのものに実験設備がなく、卒業写真をとるために1回人が集まっただけである。要するに名ばかりの「化学クラブ」であった。

 榴ヶ岡高校ではこれまた何の実験設備もなく、机上の受験勉強に力点が置かれ、スパルタ式で3年間を過ごした。自分は文科系に向いているのか、理科系なのか、よく分からないでいたが、中学、高校ではやや数学に抵抗がなかったのが、私の命運を左右することになった。

(1)歯車研究の動機

図1 旧宮城県図書館

 高校時代は市電で通学していたが、途中から自転車通学に切りかえた。自宅と高校の中間に宮城県図書館(現在の宮城県議会議事堂のところ)があったので、帰りはこの図書館に寄ることを日課としていた。(図1)。
 実は目の保養が目的であった。若き青春期でもあったので、図書館に通う仙台白百合学園校や宮城学院校の女子高生らの様子をそばで見られることがたまらなかった。従って、高校での予習、復習もあったが、机に座るとなぜかすぐ眠くなるのが常であった。これは本当に勉強する気がなかったからであろう。ゴツンと机に頭をぶつけて思わず目を醒ますのである。周りにさとられまいとフイと立ち上がり、何事もなかったように書棚の方に歩いていった。その時である。私の目に東北大学成瀬政男教授著「歯車の話」の本が飛び込んできた。これが私の「歯車」との運命的な出会いであった。(図2)。
 「歯車の話」は昭和29年(1930)11月15日、牧書店から出版された中高生向きの歯車入門書である。文中には成瀬教授が導いた「かみ合いを実現するための4つの式」が記されていた。一見簡単に見える歯車にも「一つの世界」があることに魅力を感じたのである。また、この本では歯車の機構学的な解説のほかに、宮城県登米郡佐沼町の水田で発生した灌漑揚水のためのポンプ駆動用歯車装置の修理など、社会貢献についても紹介されていた。大学工学部に進学したら「歯車」について研究してみたいなと、心ひそかに決心したのである。丁度高校2年生の秋口であった。

(2)ノビコフ歯車の研究

図2 成瀬政男著「歯車の話」

 大学3年生のとき、工学部で初めて工学部祭が開催された。昭和39年(1964)の11月である。大学へ進学したら歯車の勉強をしたいと考えていたため、入学して間もなく独学で歯車の専門書を読んでいた。杉田稔著「実用歯車設計法」(日刊工業)や成瀬政男著「歯車」(岩波書店)、中田孝著「転位歯車」(誠文堂新光社)などであったか。(図3)。
 大学2年生のとき、東北大学の松山多賀一教授が非常勤で機構学を担当してくれた。先生は「歯車のことで分からないことがあったら、何でも聞いて下さい」と話されたので、これ幸いにいろいろと尋ねることにした。松山先生は成瀬先生も一目置いた先生で、歯車理論を得意とし、食違い軸ノビコフ歯車(ソ連邦で開発された円弧歯形歯車)の世界的権威者であった。(図4)。

図3 ノビコフ歯車

授業の合間に「最近はノビコフ歯車というものが研究されています。これは円弧を歯形として、点接触かみ合いをする歯車で、歯すじはハスバ状になっています」と紹介したことがあった。「円弧歯形である」ことや、「共産圏のソ連邦で開発された」ことなど、未知なる部分を含んでおり、次第に関心が高まっていったのを覚えている。円弧歯形の理論については、成瀬先生がその著書「歯車」で執筆しており、興味は格段に増していった。

 初めての工学部祭で、私は「歯車展」を企画、出展した。展示物には最小歯数の歯車モデルや松山多賀一先生がドイツ・ミュンヘン工科大学で発表した際に使用した、ノビコフ食違い軸歯車のモデルも含まれていた。松山先生より多大のご支援を頂いたというよりほかはない。工学部祭終了後に、母親とともに松山先生のおられる東北大学科学計測研究所に挨拶にいった。(図5)。

図4 松山多賀一先生

 私が大学3年生になった昭和39年4月、青砥久仁夫先生が助教授として赴任してきたが、機構学の講義を受けたわけでもなく、工学部祭の展示に関して指導を受けてはいない。しかし、この展示を企画したことが青砥先生の目にとまり、後に助手として採用される契機となったことは確かである。以後、1年後輩の手塚正人君(卒後、東芝アンペックス、宮城日本電気に勤務)とともに、青砥先生のもとで勉強会をもつことになった。

図5 食違い軸ノビコフ歯車

 青砥先生は冷間自由駆動方式による歯車の転造を得意とし、オルゴール用の小型歯車の転造を手掛けていた。これより私は大学4年生のときの卒研は、青砥研に所属し、「ノビコフ歯車の転造」をテーマにしたのである。実際には転造工具を作るには至らず、成瀬先生の円弧歯形理論に基づいてその転造工具を設計するにとどまったのである。以上の関わりから、昭和41年(1966)3月、大学を卒業すると私は助手として学校に残ることになった。

図6ノビコフ歯車仕上げ転造用工具

 助手時代は対称歯形を有するノビコフ歯車の仕上げ転造用工具(ダイローラ)を使用して、多くの実験を行い、早々に学会で発表、注目された。(図6)。青砥先生が引き起こす数々の障害(交通事故や病気など)を乗り越え、多くの論文を執筆、助手としては精一杯の努力をしたと自負している。助手8年目にして講師となった。一連の論文は青砥先生の名前を筆頭としていた。従って、私はこれまでの研究と一線を画するため、ノビコフ歯車の研究をやめ、かねがね頭に描いていた“歯車の理想”である「磁気歯車の研究」に舵を切ったのである。

 ここで補足的になるが、WN歯車という名称について説明しておく。軸直角断面で円弧歯形を有する歯車は、ソ連邦のNovikovが考案し、歯直角断面で円弧歯形を有する歯車は、アメリカのWildhaberが考案している。いずれも円弧歯形歯車であるため、両者の頭文字をとり、WN歯車と呼ぶことになった。Novikov歯車は歯形測定に便利であり、Wildhaberの考案した円弧歯車は、歯切りなど製作や工具管理に便利であるなどの特徴がある。
 

(3)磁気歯車の研究

 講師に昇任し、独立して研究室を持つことになったのを機に、かねてよりあたためていた研究テーマ「磁気歯車」を卒研に組み込むことにした。しかし、実験装置は何一つなく、ゼロからの出発となった。

 磁気歯車に関する研究論文は少なく、最も目を見張ったのはフランスの研究者MdeBENNTOTの「Engrenages magnetiques」であった。しかし、具体的な設計法が記されている訳でもなく、暗中模索の状態にあった。いろいろ思索をめぐらしてみるが、一向に回ることはなかった。しかし、一つの大きな転機が訪れたのである。東北学院創立百周年にあたる昭和61年(1986)5月のことである。記念行事への参加打診があった。たまたま工学部の事務室に行ったとき、庶務係の事務長補佐大童敬郎さんが「30万円やるから,何かやっていただけませんか?」というのである。私は学生の頃に工学部祭参加の経験があったため、「何かはやれるはずだ。そう、磁気歯車のモデルを試作して展示してみよう!」と考えた。

図7 磁気歯車モデル

 その頃の学生はやる気満々で、私が設計した図面をもとに、機械工場で試作にかかった。私自身「回ることはないだろう」と冷めた感じでいたが、1週間位して、「先生!、磁気歯車がまわるよ!」と、予想外の結果を知らせてくれた。機械工場の指導員の方々が、精力的に応援してくれた賜物であった。この知らせを聞いたとき、にわかに前方が明るくなっていったのを覚えている。「よし!、これでいける!」みるみるやる気が湧いてきたのである。(図7)。

 磁気歯車の設計は、従来のインボリュート歯車の設計法に準拠しながらも、常識を逸するものであった。諸元は、歯数Z=2,モジュールm=40,圧力角零度、歯たけH=40mm,片歯面構成による実質歯数Z’=24とした。原動車と従動車は、軸方向に空隙を介して並置し、完全非接触状態にある。従って、振動や騒音がなく、摩耗のおそれもない。過負荷時には、両車は接触することのない完全非接触の画期的な歯車装置が出来上がったのである。

 その後、磁気歯車の研究は進展し、かさ歯車やウオーム歯車、食違い軸歯車そして磁気式遊星歯車に及んだ。今振り返ると、磁気歯車の研究の出発点は、磁気継手の研究に負うところが多い。これらの集積が学会発表並びに国内外の学会誌掲載となり、平成5年(1993)11月29日「永久磁石を利用した磁気歯車の研究」で、博士(工学)の学位を取得、平成6年(1994)4月、教授に昇任したのである。

 磁気歯車は従来の機械式歯車にない長所もあるが、弱点もある。いささかではあるが東北学院大学工学部で開発された磁気歯車が、以下に述べるように実用化され、役立っていることに喜びを感じている。

(4)磁気歯車の実用化

 各種磁気歯車の試作も進み、非円形磁気歯車など特殊歯車への拡張も行われた。この頃、宮城県大崎市にある(株)松栄工機[現(株)プロスパイン]の技術陣が磁気歯車に関心をよせ、業績不振を磁気歯車の実用化で挽回しようと考えたのである。

図8 報道記事(朝日新聞)

 (株)松栄工機は本来金型メーカで、機械材料の熱処理なども手掛ける中小メーカである。同社の操谷欽吾氏(愛媛大学出身)がかってアルプス電気の開発部門にいた経験をいかし、磁気歯車に挑戦してみようということになった。金型技術で磁気歯車の歯形を磁化する装置をつくり、多くの試行錯誤を繰り返しながら、当方の実験室段階での欠点を修正する、例えばかみ合いがスムーズに行われることや、伝達力の向上など、種々の改善を加えて磁気歯車が完成したのである。松栄工機はこれ宣伝につとめ、「みやぎ県ものづくり大会」でグランプリを獲得するなど,徐々に世間に知られるようになった。NHK-TVや民放、朝日新聞や河北新報、また各種業界雑誌にも掲載されるなど、多方面から注目されたのである。(図8)。

図9 日本応用磁気学会「技術功労賞」

 以上のような訳で、(株)松栄工機には卒業研究に使用する大型の「磁気式遊星歯車装置」を作ってもらうことにした。
 日本ではおそらく唯一当研究室が保持するものであると確信する。この実験装置をもとに、学部学生、大学院生は活用し、日本応用磁気学会(後に日本磁気学会と改称)で発表し、研究論文として掲載された。その功が認められ、日本応用磁気学会より「技術功労賞」が贈られた。(図9)。

 平成22年(2010)3月に退職したが、主要な実験装置は撤去するようにということで、最も大きな実験装置を平成23年(2011)11月、仙台工業高等学校に寄贈した。これから伸びる若いエンジニアの育成に多少なりとも役立てばと考えた。併せて、東北学院大学工学部の指標である「創意工夫」を標榜して設計された磁気歯車装置であることも付け加えさせて頂いた。この装置を移設するに際しては本学工場の指導員加藤敬一氏(仙台工業校出身)や菊地建氏(本学機械工学科出身、鶴本研)、並びに電気工学科・宮沢正樹研の学生、そして(株)北斗精機社長・黒瀬武夫氏(本学機械工学科出身)や仙台工業校の機械科教職員らによる献身的な設置作業に負うところが大きい。(図10)

図10 仙台工業高に寄贈した「磁気式遊星歯車装置」

 歯車のプロートモデル(かって東北学院百周年祭で展示したモデル)は、現在工学部図書館のエントランスフロアに設置され、稼働できる状態で展示されている。新入生や父兄会などでは見学の好対象物になっているという。東北学院百周年記念展のための試作が、我が歯車人生の重要な担い手となったことは、望外の喜びであった。

 まとめ
 高校2年生のときに、たまたま成瀬政男教授著「歯車の話」に出会い、歯車の世界に魅力を感じ、このほかにやるものなしと思う程、歯車に焦点が絞られた。ところが、成瀬先生と東北学院とは大変関わりの深いものであったことに驚く。東北学院航空工業専門学校や、東北学院大学工学部の設置に深く関わっていたのである。(補遺参考)。また、福田鉄太郎先生の奥様は、成瀬先生の叔父様(裁判官)の娘さんであることや、機械工作法が専門の松井正己先生の奥様は、成瀬先生の長女であったりと、身近なところにも成瀬先生との関わりが残されている。結果として、“歯車の理想”に挑戦し、今日に至ったことは、私の人生の中でも、「歯車」が大きな位置を占めていたことを改めて感じる次第である。。「磁気歯車」が多くの方々によって研究され、より広範囲に実用化されることを期待してやまない。

 [補遺]
 成瀬政男先生のこと

図11 成瀬政男先生

 成瀬先生は、明治21年(1898)2月3日、千葉県北条町八幡(現館山市)で、父作蔵、母しづの長男として出生した。父が小学校の準訓導(準教員)で、給与は十分とはいえず、母が縫い物をして家計を助けていたという。先生自身は県立安房中学校(旧制)より東北帝国大学工学専門部機械工学科を経て、宮城県立工業高等学校の教諭となった。22才のときである。4月より7月まで、4ヶ月間教諭として勤務したが、8月より東北帝国大学工学部機械工学科に入学、卒業後、東北帝国大学の教官となった。実は、大学在学中に仙台数学院(現東北高校の前身)の数学担当教員に内定していたが、東北大学の宮城音五郎教授(専門は流体力学、後に宮城県知事、東北工業大学長を歴任)の勧めで、東北帝国大学の教官になった経緯がある。大学では機構学や機械工作法を担当し、“成瀬の歯車”といわれる歯車研究の第一人者となった。(図11)。

図12 石川節子婦人

 ここで、成瀬先生の安房中学時代のエピソードを紹介しよう。
先生が安房中学に通学することになったとき、遠距離であったため母方のおばあさんの住む家から通うことにした。あるときおばあさんから「今度、函館の方からくる人がいるので、部屋をあけてくれないか」といわれ、いつも勉強していた離れの部屋から、母屋の方に移ることになったという。この函館の人は、後で分かったことであるが、石川啄木の令夫人・節子さんであった。節子さんは肺結核を患っており、函館で世話になっていたコルバン先生(牧師)より、千葉県白浜での静養を勧められたのである。この白浜海岸にはコルバン先生の別荘があり、成瀬先生のおばあさんの家の近くであった。おばあさんはコルバン先生より、節子夫人静養のために“離れ”をかしてもらえないか頼まれたのである。節子夫人の静養中、おばあさんの作る食事を離れに運んでいたのが成瀬少年であった。また、白浜海岸で長女の京子ちゃんの相手をしたり、次女の房江ちゃんをおぶって遊んでやったりしたという。房江の房は房州で生まれたことに起因している。節子夫人は函館に帰るとき、「すばる」という本を成瀬少年に手渡した。そのとき、この本の内容については分からないでいたが、後に石川啄木と関わりのある本であることを知ったという。(図12)。

図13 宮城音五郎先生

 成瀬先生は「歯車に関する“成瀬”のかみ合い方程式」を導くにあたり、恩師宮城音五郎先生のアドバイスが大きかったと述べている。一連の歯形論を展開する上えで「接線座標」の利用をとくに勧められ、これによって大きく理論を展開することができたことに感謝している。また、就職先や研究の進め方など、宮城音五郎先生は忘れられない存在となっていたようである。(図13)。

 東北大学在職中には、ドイツなど歯車研究のための海外留学で学ぶべきことは多々あったとし、マーグ歯車工場やフリードリッフィス・ハーフェン歯車工場でのやり取りは印象深く残っているようである。日本ではこれらの知見をいかし、トヨタ自動車の歯車製造に関して多くの助言を与えている。トヨタ自動車の資料館には成瀬先生が指導した曲り歯かさ歯車のモデルが展示されている。

図14 宮城県・佐沼における損傷歯車装置の修理現場(1)

 ところで、前にも述べたように宮城県と深く関わった大きな出来事があった。昭和17年(1942)6月、宮城県登米郡佐沼町浅水で「水田の灌漑揚水ポンプが故障し水があがらない。これでは今年の米作ができず農民は苦境にたたされている」というのである。宮城県庁の農産課職員は、「石巻地方の工場に掛け合ったが、修理の見込みが立たない」という。この職員は責任を感じ、死ぬつもりだという。実はポンプの故障ではなく、ポンプを駆動する歯車装置が故障していたのである。当時は第二次世界大戦中でもあり、歯車装置は東京周辺の歯切り工場に依頼すると、1年はかかるという。窮余の策で、最後の砦、成瀬先生に懇請することになった。田植えまで残された日数はギリギリで1週間しかないという。故障の原因は、北上川から汲み上げた水に泥がまじり、これが歯車のかみ合い歯面に入り、“カジリ”状態となり動かなくなったのである。歯面は焼きただれ、ひどく損傷していた。(図14,15)。

図15 宮城県・佐沼における損傷歯車装置の修理現場(2)

 成瀬先生は棚沢泰先生や大学の工場職員を伴い、早期回復に取り組むことになった。成瀬先生は、自ら導いた歯形理論に基づき、新しい歯形ゲージを作り、これに沿って損傷した歯面をそぎおとすことにした。損傷した歯車は焼き入れされたものではなく、ナマ地の歯面であったことに救われたのである。ヤスリで損傷した歯面をそぎおとし、後にペーパーで仕上げることにしたのである。職員らの懸命な作業のもと、約3日間で修理は完了し、無事揚水にこぎつけたのであった。一連の作業の様子は、菅野武男氏(管武エンジニアリングの創業者)所有の写真に残されていた。また、この一件は、農民の窮地を救ったということで、小学校の教科書にも取り上げられ、成瀬先生の名が全国に知れ渡ったのである。

 現在、佐沼町の浅水地区揚水機関場には新しい揚水装置が設置されているが、成瀬先生の功績を讃える顕彰碑が、機関場のそばに建立されている。平成20年(2008)5月31日、私は修理に立ち合った菅野武男氏(故人)の奥様、並びにそのご長男の武志氏、機械TG会員黒瀬武夫氏を、現地に案内した。奥様は感慨深い様子で、機関場にあっては揚水装置に向かって手を合わせ、拝んでいたのが印象的であった。帰途、菅野武男氏の奥様を囲み、北上川の畔に立つ「東海亭」でうなぎ料理を頂いた。              

(以上)

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